進まない音楽

 音楽は一般に、コードの移りかわりによって「音楽が進んでいる」ということを感じることができる。例えば「起立、例、着席」のハーモニーを考えてみると、「ジャーン、ジャーン、ジャーン」という三つのハーモニーが変化することで、リズムがなくても「三つめのジャーンで曲が終わったな」などと音楽が動いていることが感じられるというわけだ。多くのジャズも、コードの移り変わりによって構成されている。
 しかし、中にはコードが移り変わらないタイプの音楽も存在する。ジャズでいえば、モードジャズのたぐいがそうだ。これらは、一定のスケールとかコードを基準に演奏される。これは、基本的にハーモニーに変化が見られず、「音楽が進んでいる」ことを感じないということをも意味する。当たり前だ。スケールが一定ということは、使う音が同じ、ということなんだから。
 これは問題をはらんでいる。単調になりやすい。音楽として、聴いていて飽きやすいのだ。

 では幾多のジャズマンたちはどうやってその問題を克服してきたのかというと、リズムに活路を見出したというのが代表的な答えだ。具体的には派手なドラムからのパルスを求めた、というわけだ。インパルス時代のコルトレーンエルヴィン・ジョーンズを起用したのはその典型で、エルヴィンからの刺激によって、コルトレーンは一定のモードの中で様々な変化を作ることが可能になったわけだ。

 で、今日はそうしたモードっぽいハーモニーに変化の少ない曲を演奏する機会があった。ただしドラマーは欠席。いやーな予感はしたが、案の定メリハリのない演奏になってしまった。演奏者の感想は芳しいものではなくて、もしかしたらボツになるかも。でも、できればドラマーを入れてもう一度演奏したいもの。どうなることやら。