その用水は、美しかった。

 岐阜県某所にて某路線の現地踏査。
 同行した同僚である先輩によると、その路線の想定ルート上には天井川があるとのこと。海岸沿いでもないのに天井川とは珍しいなと思って現場に着いてみると、なんのことはない、川ではなく用水だった。なるほど。ローマ水道にもよくあるけど、きれいな水を安定して供給するために、上流側から下流の都市に用水を通すことは珍しくなくて、途中ではその用水路が土地よりも上に位置することがあるわけ。この現場もそういう場所だったのだ。
 用水は小さな神社を横断している。石の鳥居が用水路の前にあり、用水路には橋が架かっていて、その対岸側に小さなほこらが見えてそれが神社。おそらく昔からあった神社の目の前を水路が横切ることになったために、用水路上に橋を作り、鳥居を改めて建て直したんだろう。当時はやむを得ない措置だったんだろうが、時を経て美しい風景になっていてしばし残暑を忘れる。
 鳥居の石柱には「大正9年」と彫ってあるのが見えた。「(平成)21足す(昭和)63足す(大正)15引く9で・・・90年近く前に出来た用水なんだ」なんというか、用水をひいた先人の努力と、それが現在も生きて社会の役に立っているという現実に対して、自然と身の引き締まる思いになる。
 二世代ほど前から今も現役のその用水は、美しかった。